小説家になろうSF競作企画
空想科学祭

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 SFと聞くと、どうしても難しそうで手が出ない……、そんな方のために、わかりやすく解説。不定期に更新します。
* SFって?
* 大まかな分類
* テーマ・舞台・形式などで更に細かく
* タイムトラベル
* 歴史SF
* サイバーパンク
* サイボーグ
* ロボット
* ディストピア/アンチ・ユートピア
* 海洋SF
* 宇宙SF
* スペースオペラ
* 破滅系SF
* ミュータント
* 方程式もの
* ハードSF
* 侵略系SF
* 超能力
* スチームパンク

    SFって?

 SFとは、Science Fictionのこと。全般的に、科学的空想に基づく作品をさします。
 科学や、未来に発展するだろう科学を元にするため、現実ではありえない作品も、勿論多く存在しますね。このため、空想・幻想の賜物、ファンタジーと一括りにされてしまうことも。
 ファンタジーとの違いは、作品内に「科学的要素」があるか、「非現実要素」があるかではないかと思われます。SFと銘打っておきながら、魔法やそれに類似した力、異世界などが存在した場合は後者に当たるため、ファンタジーと分類される可能性が高くなります。
 例えば、現代社会で不思議な力を持った少年が巨大組織と戦うなどという設定の場合は、ロー・ファンタジーと呼ばれるカテゴリに該当します。しかし、この少年の力が科学力や科学的な支援に基づいて与えられた場合(兵器を持つ、ロボットを操る、科学的な力で変身する)は、SFに該当するわけです。
 こうした分類は、専門家や国によってもまちまちなのですが、このような考え方によって分けられていると言っても過言ではないでしょう。
 代表的なSF作品は、後日お勧め書籍・映画コーナーに掲載しますので、参考にしてください。

    大まかな分類

 一口にSFといっても、様々な分け方があります。世界観や舞台、元になっている科学情報〜倫理観まで、実に様々です。
 それではまず、どのようなわけ方があるのか挙げてみましょう。

ハードSF
  科学性の強い作品。主に天文学・物理学・化学・数学・工学技術などを題材としたものを指す。
・ライトSF
  科学的検証とまでは至らないものの、科学的要素がある作品。
スペースオペラ
  宇宙を舞台にしたもの。宇宙旅行、未知の惑星での出来事など。
サイバーパンク
  電脳世界を舞台にしたもの。
スチームパンク
  蒸気機関が異常発達していたかもしれない未来・現代・過去を描く。

 実際はこれに該当しない作品もかなり多いのですが、大雑把に分けるとこんな感じです。

    テーマ・舞台・形式などで更に細かく

 それぞれの作品の形式などが、どれに当てはまるか。幅広いSFモノを、どのようにカテゴライズしたらいいのか。この「空想科学祭」に参加する上でも悩みの種ですよね。
 様々な資料を基に、考えられるだけの細分類を羅列してみます。

タイムトラベル
破滅系SF
侵略系SF
・ガジェットSF
超能力
ミュータント
ロボット
・アンドロイド/サイボーグ
・パニック系
・モンスター系
・SFアクション
・SF叙事詩
・SFサスペンス
・SFアドベンチャー
方程式もの
ディストピア/アンチ・ユートピア
・未来SF
海洋SF
宇宙SF
歴史SF
・学園SF

 これは本当にSF? と、心配な方も多いはず。ですが、今のところこのようなものがSFとして捉えられているようです。
 但し、書き方によっては枠からはみ出してしまうものもあります。
 次項から、具体的に、どういう作品ならばSFで、どういう書き方だとSFから除外されるのか検証してみます。

    タイムトラベル

 時代遡行(さかのぼること)が主ですが、勿論、未来へも行きます。理論はちょいと難しいので割愛させていただくことにして──要するに、時間移動することで、物語を動かす作品です。

 過去に行く場合、タイムパラドックスと呼ばれる問題が出てきます。突如歴史のなかに別の要素が加えられたことで、今までの時間の流れが変わってくるのではないか、という点です。
 
 もし、過去へ旅立ち、自分の親の結婚を阻止したとしたら、その瞬間に、あなたの存在は消えてしまいます。しかしこの時、実は、
1.両親から生まれた自分が親の結婚を阻止した
2.結婚しなかったので、自分は生まれていない
 と言う矛盾点が生じます。
 時間移動を扱う場合、こういった矛盾点(矛盾点の大きさは話のスケールによりますが)をどう埋め合わせるのかが重要になってきます。
 そこで、過去へ旅立った人間には、してはならない無言の定理が存在してきます。「過去の人間には関わらない」「歴史を変えない」この二つです。

 未来への時間移動の場合も然りです。
 例としましては、自分の未来を見てしまった主人公が、それを変えるために現代に戻り努力しようとする──ドラえもんですね。
1.ジャイ子との未来
2.しずかとの未来
 どちらも、のび太の未来であるのに、作品では、ジャイ子との未来はあまり語られません。
 パラレルワールドと言うものがあります。物事には分岐点があり、選択肢によって、Aの未来の可能性、Bの未来の可能性がある。通常は片方しか存在しないはずの未来が、何かのきっかけで、両方存在してしまうのです。その原因の主なものが時間移動、タイムトラベルと呼ばれるものであることは、もうおわかりですね。
 どちらも平行して存在する未来。どちらかが消える、ということはありません。一度分かれた未来が一つになるとしたら、どこかでやはり、その矛盾点を修正しなくてはなりません。

 タイムトラベルものは、理論も大事でしょうが、それ以上に、矛盾点をどう克服するかが物語の鍵になります。読了後に、矛盾点を残してしまうのは危険なので、作者自身が図式で時間の流れを把握しておくことが大切になってくると思われます。
    歴史SF

 歴史SFというジャンルについて考えてみた。
 SFでは、空想上の高度な科学力を背景にしている場合が多く、必然的に舞台設定は未来へ向かいがちであるが、一方、歴史小説は、例えそれが正史にせよ虚構にせよ過去の一時代が舞台となる。
 よって歴史SFというジャンルを考えた場合、”未来”と”過去”という180度反対方向のベクトルが同時に内包される。この矛盾を回避する最も簡単な方法は、前述のベクトルをねじ曲げる事、すなわちタイムトラベルである。
 この手法は大まかに2種類存在し、現代・未来人が過去へ行く場合と、過去の人間が現代・未来へやって来る場合とがある。
 前者のパターンとしては、半村良の『戦国自衛隊』が有名である。2度映画化されているので内容を御存知の方も多いと思うが、ここでひとつ問題となるのは、『タイムトラベル』の章でもご説明があった、歴史を変えてしまうという問題である。しかし『戦国自衛隊』の場合、これをパラレルワールドという形で回避した。つまり、未来からの干渉とは関係なく、元々異なった歴史を舞台にしているという設定である。
 さて、タイムトラベルのもう一つのパターン、過去から現在へやってくる話ではどうか。
 ひとつの作品をご紹介しよう。
 五味康祐の短編『一刀斎は背番号6』である。生粋の時代小説作家である筆者の、おそらく唯一のSF要素を含んだ異色作である。室町期の剣豪、伊藤一刀斎が現在へタイムスリップし、巨人軍に入団して大活躍するという痛快作だ。江口寿史のコミック『すすめ!!パイレーツ』にもまったく似たような話があるが、こちらの方は宮本武蔵である。時代的に見ても、巨人の四番を川上が打っている事から、五味康祐の方がオリジナルと思われる。

 一方、上記とは別パターンの歴史SFもある。
 例えば、豊田有恒の『モンゴルの残光』である。こちらは、フビライ帝の蒙古が世界制覇を成し遂げ、黄色人が白人を支配するという架空の未来を舞台にしている。このパターンの歴史SFは、一般的にストーリーが壮大になる傾向がある。
 もうひとつ……。これはドタバタのコメディであるが、田中啓文の『銀河帝国の弘法も筆の誤り』である。禅問答に負ければ異星人に地球を征服されてしまうという危機的状況下で、真言密教の開祖・空海が千四百年の眠りから覚め、異星人と対決するという爆笑作である。歴史要素をからめたコメディであるが、全編に溢れるSFのにおいは本物である。

 取りあえず、国内の作品ばかりを例に挙げてきたが、海外にも優れた歴史SF作品があるので、そのひとつをご紹介して筆を下ろしたい。

 『アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー』を書いたマーク・トウェインは、名作『トム・ソーヤーの冒険』を書いたアメリカの著名作家である。この物語は、アーサー王の時代にタイムスリップした兵器工場の技師が、自身の科学技術を活かして当時の社会に産業革命をもたらすという奇想天外な大冒険譚である。現代社会に対する風刺も利いていて面白い作品なので、機会が有ればぜひご一読いただきたい。
   ◇◇◇
※前回のタイムトラベルに関連した、歴史SFについての薀蓄を、閉伊琢司さんに寄稿していただきました。ありがとうございました!!
    サイバーパンク

 サイバーパンクとは、生物の持つ機能や意識を機械的、生物的に拡張させ、それらのギミックが社会に普及した世界を描くジャンル。
 サイバーパンクの語源となったサイバネティックス(cybernetics)とは、生物学、機械工学、情報工学などを統一的に扱う学問であるが、このサイバネティックスの考えによって生み出されたのがサイボーグである。身体機能を機械で補うことにより、人体の欠損を補うあるいは強化を図るというものである。あるいは脳神経機能の工学的拡張やネットワークへのアクセス技術もサイバネティックスに含まれる。こうした人体と機械の融合、脳内とサイバー・スペースと呼ばれるネット空間との接続技術が「過剰に推し進められた(パンク)」社会構造、経済構造が描写されている。また、サイバーパンクの代表作の幾つかでは退廃的で暴力的な近未来社会を舞台としたため、単にそのスタイルのみを真似た作品が「サイバーパンク」を名乗ることもある。
 このサイバーパンクというジャンルは1980年代のアメリカで興ったが、当時はパーソナルコンピュータやインターネットの前身となる広域ネットワークの研究や普及が始まっていた時代であり、先人たちはそれらが過剰に普及した未来を構想した。しかし現在、パーソナルコンピュータや携帯電話が普及し、インターネットが当たり前になりサイバーパンクはあえてジャンルかするまでもないものとなった。今後、コンピュータはどんどん小型化し、ネットワークにどこでもアクセスできる「ユビキタス社会」が到来すると予測されている。そのための機器を持ち歩くのではなく身につけるという「インフォシェア」の概念が打ち出され、我々の社会はますますサイバーパンクに近づいているといえる。
 代表的な作品に、ウィリアムギブソンの『ニューロマンサー』や士郎正宗『攻殻機動隊』などがある。いずれも人体を機械で置き換えたサイボーグやネット空間に意識を投入するサイバー・スペースなどの概念が取り入れられている。
   ◇◇◇
※以上、俊衛門さんより寄稿いただきました。以下、補足です。

 舞台は近未来(25〜75年ほど先)が通常。想像しやすい未来、とのことですが、実際そのぐらいの年数でサイバーパンクが常態的にありえているかどうかという点になりますと、疑問が残ります。胡散臭さを払拭するような尤もらしい説明を文中に入れればベスト。
 電脳世界、という言い方はちょっと難しいかもしれません。ネットと現実社会の境界線をより曖昧にしたような世界、といいますか、融合させたような世界観であるものが多いようです。「マトリックス」なんかでも、虚構と現実が曖昧で、一度観ただけではちょっと理解しがたいような設定(今まで生きてきた現実=虚構で、サイバー空間だと思っていた場所が現実)ですよね。

 インターネット用語を駆使したり、近未来的な科学用語を多用する場合も多いでしょう。
 コンピュータがどの程度進化しているのか。ネットワーク、ハードの面での進化、サイバースペースとのアクセス方法等々、電子的な知識も必要になってきます。
 近未来、という舞台設定から、遺伝子工学に触れる場合も出てきます。クローン、ES細胞、iPS細胞、肉体改造云々、生物学的知識や医療知識が必要な場合もあります。
 不安定な社会情勢であるという設定を選んだ場合、武器や兵器の知識が必要になってくることも。自衛隊、アメリカやその他の国の軍隊に関する知識、銃機器や特殊部隊などに関する知識もあるに越したことはありません。
 ありとあらゆる科学ネタが使えます。あとはどの部分を強調するのか、しっかりとした舞台設定、構築が必要となるジャンルではないでしょうか。

 また、未来を舞台に置くことで必要となるものの一つに、社会情勢についての考察があげられます。物語の規模にもよりますが、現代と異なった国際情勢、経済情勢になっていることは想像に難くありません。
 舞台を50年後の日本にした場合、今のまま戦争放棄を続けていられるのか、近隣諸国との関係はどうなっているか、なども問題になってきます。戦争が起きていたり、あるいは無政府状態になっていたりなど、一つ一つ考えを巡らせていくことでよりはっきりした世界観が生まれてきます。
 犯罪や、宗教に対する価値観も、もしかしたら変わっているかもしれません。
 細かな配慮は、読者に対してしっかりとしたイメージを伝えることになり、構想が決して曖昧でないことを示す手段ともなります。ありきたりの設定だったとしても、小道具をうまく使うことによってオリジナリティを出すことは十分可能ではないかと考えます。
    サイボーグ

 サイボーグ(cyborg)は、いわゆる、改造人間を指す。cybernetic organism(人工頭脳学的有機体)が語源。本来は、人間の諸器官を医学的に人工機器に置き換えることで、宇宙空間でも生き延びれるようにしようというSF的考え方から派生したもの。サイバネティックスの概念によって生み出された人体と機械の融合体である。
 日本では、石ノ森章太郎の『サイボーグ009』によって一般に知られるようになった。
 サイボーグの定義は医療、または強化目的で生物機能を人工物に置きかえることで、実用化されているのは人工心臓やペースメーカー、人工関節などがある。また、広義にはコンタクトレンズや義歯もサイボーグに含まれる。
 サイボーグには侵襲型、非侵襲型という二つの形態がある。侵襲型とは人体の内部に埋め込んで稼動させるタイプのことで、インプラントとも呼ばれる。人工臓器、人工骨、また脳と電子機器をつなぐ「ブレイン・マシン・インターフェイス」などがある。これらは故障や誤作動があった場合の危険性や倫理面での問題が指摘されている。
 一方、非侵襲型は、肉体の外部に取り付けて稼動させるタイプで、着脱可能な義手、義足などである。これらは侵襲型と違い危険性も少なく、また倫理面での問題もクリアしやすい。現在、アメリカでは強化服(パワードスーツ)の開発がされているがこれも非侵襲型サイボーグと言える。
 サイボーグ化した場合、身体バランスが保てるかどうかの問題が発生する。拒否・拒絶反応、成長や延命による不具合等々、考慮の必要が出てしまう。また、健康体を不必要に手術してしまう可能性があることも否めない。生命倫理に関わるため、既存の作品では、しばしばサイボーグの人間性、機械性を取り上げ、「人間か、機械か」というテーマを扱うことがある。
   ◇◇◇
※以上、サイボーグについて、俊衛門さんからの寄稿に補足して掲載しました。
ご協力ありがとうございました!
    ロボット

 ロボットの定義には、工業用ロボットなどとして現実にも使われる「人間の代わりに何らかの作業を行う機械」またはプログラムも含まれる「完全に自己制御できる電子的、電気的・器械的装置」と、SFなどで使われる「人型または人間に近い機能や動きを持つ機械」の主に2つの意味があります。
 人型のものはアンドロイド(厳密には男性型のみ。女性型はガイノイド)と呼ばれます。同様の意味で、ヒューマノイドという言葉もありますが、こちらは人間型の異星人を意味することもあります。
 ロボットは普通、無機物から作られていますが、アンドロイドには有機素材から作られた人造人間も含まれます。

 ロボットという言葉の初出は、チェコスロヴァキアの小説家カレル・チャペックが1920年に発表した戯曲「ロッサム万能ロボット会社R.U.R.(エル・ウー・エル)」で、チェコ語やスロヴァキア語のRobota(労働)、Robotnik(労働者)から作られたということです。
 しかし伝説などには、ギリシャ神話に出てくる青銅の巨人タロスやピグマリオン、ユダヤの伝承のゴーレムなど、ロボットと呼んでも差し支えのないものも存在します。他にも人造人間や自動人形としてのロボットが出てくる伝説・伝承・創作物は多く存在します。

 一般的によく知られているロボットが出てくる古典作品は、自動人形コッペリアの登場するバレー「コッペリア」(1870年初演)ではないでしょうか。この原案となったのはドイツロマン派の作家・E.T.W.ホフマンの「砂鬼(砂男)」(1815年)で、こちらの自動人形の名前はオリンピアといいました。
 しかし最も知られているロボット登場作品は、人造人間を扱った「フランケンシュタイン」(1818年)に違いありません。

 20世紀になると前出の「R.U.R.」が発表され、ロボットSFは本格的な胎動を始めます。
 1930〜40年代になると、「キャプテン・フューチャー」シリーズを代表とする友好的な仲間としてのロボットが登場する一方、クリフォード・D・シマックの「前哨戦」のように反乱し、敵対する恐怖の対象としてのロボット作品も発表されるようになりました。
 1950年に発表されたアイザック・アシモフ「われはロボット」他、多数の傑作が発表された1950年代はロボットSF小説における黄金期と言ってもよいでしょう。

 日本においては、戦中に海野十三などの作家がロボットを扱った小説を書いてはいましたが、1952年から連載された手塚治虫の「鉄腕アトム」が日本ロボットSFの草分けと言えるでしょう。
 その後はさまざまなメディアの作品が発表されることになりますが、それについては割愛します。

 アシモフによって示された「ロボット工学三原則」とは、以下のとおりです。
第1条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第2条 ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が、第1条に反する場合は、この限りではない。
第3条 ロボットは、前掲第1条および第2条に反する惧れのないかぎり、自己をまもらなければならない。
(福島正実氏の訳による)
 しかし、これに則らない作品も数多く存在します。

 ロボットをSF作品で扱う上のポイントはいくつか考えられます。
(1)サイズ
 ドラえもん、アトムなどの等身大サイズ、ガンダムなどの巨大サイズ、ナノロボットなどの極小サイズ。
(2)システム
 自分で判断し動く「自律型」、「遠隔操作型」、巨大ロボットに人間が操縦者として乗り込む「搭乗型」。
(3)テーマ
 ロボットをメインとした作品のテーマは大まかに分けると、友好的なロボット、敵対するロボット、悩めるロボットの3つがあるといえるでしょう。
 1番目は、命令のとおりに作業をしたり、人間を守り、楽しませ、慰めるなど、人間のよき友人・協力者としてのロボット。
 2番目は、創造主である人間を殺したり、反乱を起こしたりする、恐怖の対象としてのロボット。
 最後は、人に近い存在であるがゆえに、人になることを願ったり、人との違いに悩むロボットです。

 小説、映画、アニメ、マンガなどさまざまなメディアによって、ロボットは描かれ続けてきました。それゆえに、テーマとしてはある程度ネタの出つくしたジャンルと言えなくもありません。
 しかし、幼いころから慣れ親しんできた私たちにとって、ロボットが魅力的な素材であることに変わりはないと言えるでしょう。

[参考文献]
「SFハンドブック」早川書房編集部編/ハヤカワ文庫
「SFロボット学入門」石原藤夫著/ハヤカワ文庫
   ◇◇◇
※以上、黒木露火さんより寄稿いただきました。ありがとうございました!
    ディストピア/アンチ・ユートピア

ユートピア(utopia)
 理想郷。ラテン語で【どこにもない国】。あるいは【時間のない国】。
 イギリスの思想家トマス・モアが1516年にラテン語で出版した著作、また同書に出てくる国家の名前。「無可有郷」とも。

 疫病。感染。侵食。飢餓。襲撃。差別。犯罪。事故。災害etc.
 行きつく先はどれも同じ――死。
 恐怖を回避したいという人々の願いが具現化した存在が【ユートピア】。ありとあらゆる負の出来事を追い払うために生まれた考えです。
 
 ユートピア作品は主に初期のSF作品で描かれており、下記の事項がほぼ共通しています。 
 
※第三者による徹底管理によって、犯罪の発生を防いでいる。
※世界から離れた、安全な地。
※自然と融合した、発達した科学によって建設された城塞都市。津波も台風もないし、自殺する苦しみも、人を殺すような飢えもない。
※ふしだらでむやみに派手な要素は徹底的に排他され、住民のスケジュールはものを食べる時間と働く時間と眠る時間がきっちりきめられている。
※人々は技能で分類されていて、立場は平等だけど個性はない。
※物理的にも社会的にも衛生的な場所。つまり病気にならないし、いじめも差別もない。
 
 まさに理想の新世界。勝ち残ったものだけが裕福になれるという資本主義に反した、財産の一切を平等に分け与えるという共産主義にも似た考えでした。
 ところがその反面、一切の感情が許されず、自由を束縛された収容所のような世界でもあります。現在から見れば、理想郷からかけ離れたこの考えかたを【アンチ・ユートピア】あるいは【ディストピア】といいます。
 
 なぜ、感情の自由を許さないのか? 個人的感情による行動はイレギュラーを引き起こしかねないからです。
 たとえば、人物Aが人物Bにある言葉を言いました。それは、人物Aにとっては些細な言葉でしたが、人物Bにとってはひどく傷つく言葉でした。どっちが悪いわけではありません。単純に、性格の違いです。しかし、それが原因になってけんかが起こります。最悪の場合、衝動的な殺人になるかもしれません。
 それが何万人にもなれば、どれだけのイレギュラーが発生するでしょう。計算はほぼ不可能です。
 そこで個人的感情のいっさいを排することで、争いをなくすわけです。これで不幸はおきません。――たとえ、幸福を感じられなくなったとしても……。
 
 初期のユートピア作品には、のちのちによく読んでみると実はとんでもないアンチ・ユートピア作品であることが発覚する作品が多くあります。
 また、20世紀以降には社会主義思想の理想と現実のギャップに打ちのめされた人々がアンチ・ユートピア作品を描いています。
 
 たとえば、トマス・モアの【ユートピア】では、人々はみな白くて清潔な衣服に身をまとい、私有財産を持たず、農業の片手間に芸術矢研究をいそしむという理想社会が描かれています。
 しかし、実際には生活の時間割が細かく決められていて自由がなく、市民どうしで監視しあう――いわば連帯責任のシステムになっていて、社会になじめないとわかれば上に報告されて、はぐれ者として奴隷にされてしまうなど、まるで江戸時代の五人組のような制度があったりするのです。
 あるいは、H・G・ウェルズの作品こと【タイムマシン】では、未来社会にてイーロイとモーロックという、ふたつの人種に分かれて争いが起こされていました。戦争というものとは程遠い、一方的な暴力で。高度発達した科学によって、自分の目標を失って生きる希望を見失ったイーロイと、労働者という下級階層にいるモーロックは食糧として捕らえやすいイーロイを捕食しているという、恐ろしいブラックユーモアが潜んでいたのです。
 また、劇団四季のお芝居である【エルリック=コスモスの239時間】では、徹底管理されてしまったことで感情を失った子供たちと、それを癒すために派遣された教師ロボットとの心の交流が描かれています。心温まる物語であると同時に、【心を失った人間】と【心豊かなロボット】という痛烈な皮肉が語られています。
 
 アンチ・ユートピアとは、発達しすぎた科学が引き起こすかもしれない悲劇への警告なのです。
 ――科学が、必ずしも人を幸せにするとは限らない。
 事実、携帯電話や電気自動車のような、昔からSF作品に出てきた小道具や乗り物が現実のものとなっていますが、今の世界がユートピアと言えるでしょうか? 世界を支配しているのは、平等をうたった共産主義ではなく、弱肉強食の資本主義。昔と変わらぬ現実が――そこにあるだけです。
 
 
 余談ですが、ビートルズのジョン=レノンは【ヌートピア】という概念を提唱しています。
 
 土地もない。国境もない。パスポートもない。法律もない。
 国というものすらない。
 存在するのは人間だけ。
 人間と人間のつながりだけ。
 
 人間全てが国民であり市民であり大使である。
 
 あなたはこれをどう思うでしょうか?
 発達した科学があるわけでもない。するべきことを教えてくれる管理者がいるわけでもない。病気や災害から守ってくれるものもない。
 だけどそこには幸せがある。愛したい人も、愛してくれる人もいる。愛を歌い、宗教にも精通していたジョン=レノンらしい概念ではないでしょうか。
 ある意味、もっとも理想的なユートピアの考え方であるといえるかもしれません。
   ◇◇◇
※以上、かわい洋ヘイさんからの寄稿を一部修正して掲載させていただきました。ご協力ありがとうございました!
    海洋SF

 海洋SFとは何か? 正確に定義せよと言われても困ってしまうが、漠然と考えれば海を舞台としたSFであると言えるような気がする。
 だいたいジャンルは、ジャンルを決める概念が先にたって成立するわけでなく、個々の作品の印象の集大成のようなものがジャンルとして通用している。だからある作品をジャンルに押し込む靴べらのような強引な分類が意味があるかどうかはわからないし、また、あるジャンルというものを強く意識して作品を作ることにも意味があるかはわからない。ジャンルが作品を裁くというより、できたものがジャンルを作ると考えたほうがのびのび作れる気はする。
 古典的な海洋SFにはジュール・ヴェルヌの『海底二万マイル』がある。またウェルズは『深海潜行』を著した。未読の方のために『海底二万マイル』の粗筋をざっと語ると、海中を怪光を伴って高速で泳ぐ物体が目撃され、その正体を突き止めるために軍艦が出動する。その艦には謎の物体を調査するため博物学者と従者、鯨獲りの名人の三人が同乗している。軍艦は謎の物体と遭遇、衝突される。その衝撃で三人は艦から海へ放り出され、損傷した艦は三人から離れて行く。海に漂う彼等をすくい上げたのは、あの海中を高速で潜る謎の物体であった。金属製の海に潜れる船、つまり潜水艦「ノーチラス」である。ノーチラスはその後、世界各国の海をまわり、海溝の深海を探索し、北極海の極点まで潜行し到達するなどの冒険を繰り広げる。
『海底二万マイル』が書かれた当時潜水艦はなかった。潜水艦がどんなもので、どんなふうに海に潜ってどんなふうに圧力に耐えるかということを、空想でシミュレートし、実現可能なものとして精細にあらわして見せた人はいなかった。後世、初の原子力潜水艦をアメリカ軍が建造したとき、その艦に記念として「ノーチラス」の名を与えたのは、ヴェルヌが現実になかったものを新たに作り出し、概念にしてみせた偉業と先見性をたたえたものである。SFは未来を挿入するというならば、ヴェルヌは確かに未来を小説の中で提示した。
 ウェルズの『深海潜行』では、やはり深海の様子が描かれる。ただここで用いられるのは潜水艦ではなく、深海探査の歴史のごく初期の時代で使われた原始的な装置である。ウェルズの装置では、深海の高圧に耐えるため、やわらかい詰めもので内張りをした中空の鋼鉄の球体の中に探険家が乗って深海へ沈んでいく。球体には錘がつけられており、浮上するときには錘を切り離す。錘を切り離す装置が作動しないときには、探検家は深海で破滅するだろう、と語られる。球体は艦から投下される。しかし探検家は、帰還予定の時刻を過ぎても海面へ浮上してこない。酸素が切れる時刻になるころ、探険家の乗った球体は海面へ帰還する。探検家は疲労し譫妄状態のようになっている。そして、彼の体験した沈降、奇怪な海底の様子、沈没した船の墓場とも言えるような光景とそこに群がる海底魚人の様子が探険家の口から語られる。回復した後、彼はとりつかれたようにふたたび沈降準備を始め、そして二度と帰ってこない。
 どちらも海の中のことをもっぱら語っているが、海の上のことを主に描いた作品としては椎名誠の『水域』がある。
『水域』では、地球の環境が激変した「破滅後」の世界が描かれている。陸地はほぼ水没し、異常な水流や生態系の栄える水域のみが膨大に広がる。そこでの日常は、食って寝て流れ人と出会って別れる、奇妙な漂流生活である。漂流する男「ハル」は、沈没寸前のオンボロ筏「ハウス」に乗って暮らしている。ハウスはわずかながら動力を持ち、ハルは残存高層ビルの残骸に出会うとハウスを操ってそれに取り付き、内部を探索する。
 ある日ハルは死人舟に乗った男に出会う。死人舟の男は酒を勧め、酔ったハルは乗り移られるカタチでハウスもろとも財産ごと騙し取られる。さらに悪いことに死人舟は滞留水域の酸混じりの水の中で停滞してしまう。飢えと渇きで苦しむハル。しかしわずかに残った力で魚をしとめ、滞留水域を脱け出す。死人舟は次に、倒木が膨大に寄り集まってできた漂流島ヘ吸い寄せられるように漂着する。島の岸辺の倒木は、渦と海流で強引に噛み砕くような動きを見せて複雑に動きまわっており、死人舟は粉砕されてしまう。ハルは漂流島での生活を余儀なくされる。ハルは、危険な動植物が隠れ住む漂流島の内部への探索をはじめる。ハルは、彼と同じように漂流島に漂着した女、ズーに出会う。
 ハルとズーは動力つきの新しい筏を作り、吸引力のある渦を作り出すその漂流島から脱出することに成功する。だが幸せな日々は長く続かず、ある日、武装船の攻撃でズーは殺される。生きて行く意思を失うハル。彼は打ち寄せる波の中で昏倒する。漂流するうち、夢幻の中で、ハルは、鯨よりも大きな巨大魚と交感し、この漂流世界の中で生きていくことについての約定を知る。虚脱状態にあるハルと筏を嵐が襲い、筏は破壊される。
 気がつけばハルは、何もない小島に漂着していた。小島を探索するハルは、ただ一人その島で生きていた少年と出会う。彼は緑色のカップを持っている。彼は憔悴したハルに、そのカップで水を汲んで差し出す。やがてハルと子供は共同で生活を始めた。ハルは再び筏を建造し、グリンカップと名づけた子供と一緒に海へ出ることを夢見る。
 海そのものが未知にあふれた新世界として提示されることもある。スタニスワフ・レムの『ソラリスの陽のもとで』は、惑星ソラリスを覆う海と、その海が持つ謎の特徴について淡々と記述されていく。『ソラリス』は、非常に奇妙で独特の新世界が提示されるが、そこで行われることは冒険ではない。純文学のような面――ロシア文学の持つ、内向的に自分の精神状況を独白していくスタイル――を用いて精神を掘り下げていく作業である。ソラリスは、思考する海であり、何の理由もなく無限の形態を形成し続ける、非生産的な奇妙な特徴を持つ海でもある。ロシア文学に通底する悲観と虚無は、ソラリスの海の行為の無意味さ、不条理さ、気まぐれにはっきり現れている。
 ソラリスは主人公の死んだはずの恋人をよみがえらせる。彼女は主人公の存在を内向的に吐露し、掘り下げ、暴露していく。『ソラリス』には冒険小説のような面白さはない、が、サスペンスのように常時取り巻く狂気感と孤独、内向性、それにじわじわと何かの価値観へと近づいていくもどかしい希望がある。

 海洋SFをこさえるには何が必要か? 現在の一般的な高校生とヴェルヌを比べれば、おそらく今の高校生のほうがずっと科学的知識はあるだろう。ただ、知識を運用する態度や熱意では雲泥の差がある。『海底二万マイル』に登場する世界各地の海の生物の描写は非常に精細でいきいきしている。彼自身はそんな遠方までいちいち行ったわけではない、おそらく博物図鑑の魚のイラストを飽かずに眺め、仔細に頭の中で泳がせて楽しんでいたのだろう。生物の描写はこどものような想像する力と熱意にあふれている。
 ウェルズの装置も、いかにして、生身の人間が到達できない場所へ、人間を到達させるかという点に、非常に気合を入れて作られている。おそらく彼はその装置を考案し、深海まで到達させることを楽しんだはずである。科学を使って現実に実現できるかもしれない可能性を大いに楽しんだことだろう。その態度はSFをこさえる上で重要ではないだろうか。新式の知識一切を備えていなくても、科学によって何か実現できるという気合と根性は必ず空想に生きた力を吹き込む。
 たとえ難しい科学知識がなくとも、椎名誠の作品は新世界を生きる臨場感に満ちている。ただし、椎名誠は生物の触感・存在感をダイレクトに伝える言語感覚に優れている。また、彼は旅行作家であるから当然、生き物の知識や生きているその様子、海山川森テント生活、そのほか旅行で何が起こるかということに非常に詳しい。
 知識と、それを隅から隅まで精査して楽しむ態度、それに、それを現す能力の兼ね合いによって作品への出力が決まるように思う。
 ジャンルを意識する必要はない。作った作品がジャンルを作る。
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※林さんより寄稿いただきました。ご協力ありがとうございました!
    宇宙SF

 科学設定において、もっともオーソドックスな舞台である、広大な宇宙。
 扱い方としては、主に二種類に分かれます。

 1)別の惑星
  資源不足になった、あるいは地球環境の悪化による新天地開拓のために、別の星へ行くというパターン。異なる環境や、新生物によるパニックを切り抜けるというパターンが多いです。この場合は、惑星や新生物の設定を新しく作らなければならないのでかなり手間がかかりますが、オリジナリティを確立することができます。
 
 2)宇宙船
  宇宙を移動する船。太陽系や銀河を駆け、さまざまな舞台を移動できるという利点があります。また、宇宙船という密室空間を生かした人間心理の狂気を描くことで、SF設定が苦手な読者層の心をつかむこともできます。

 1)では、アメリカの有名なドラマ『新・アウターリミッツ』で資源獲得に来た地球人が、無人だと思われていた惑星に着陸。しかし、なぜかそこに現地人がいて、彼らを撃ち殺します。資源を獲得するのは、ここを見つけた地球人であり、現地の人間をどうしようとこちらの勝手だという歪んだ主義のために。ところが、ここで事実が発覚します。何とそれは現地人ではなく、別の惑星からやってきた宇宙人だったのです。それも子供。つまり彼らは、別の惑星へ旅行しに来た子供たちであり、地球人はそんな子供たちを――知らなかったとはいえ――容赦なく撃ち殺してしまったのです。
 そして、地球人はその制裁を受けてしまいます。やがて、怒りで真っ赤になった宇宙人たちは、そのまま地球へ――おそらく宇宙人は容赦なく地球人を消していくでしょう。地球人がしてきたことと同じように……。植民地支配主義を皮肉ったストーリーと言えるでしょう。
 2)では、代表的な作品として『エイリアン』をあげてみましょう。
 ある惑星で、作業員が宇宙人にはりつかれるというハプニングが発生。その後生還したと思いきや、その作業員の体内にはエイリアンが寄生していて、やがて育ったエイリアンは作業員の腹を食い破ってほかの作業員たちを――
 今や誰もが知っているパニックムービーですが、この作品ではある画期的な手法が使われています。
 暗い船内。漏水によって滴る水。闇から出てくる怪物の影。
 何かを連想しないでしょうか? 実はこれ、ホラームービーの手法なんです。古い屋敷を老朽化した宇宙船に。謎の幽霊を未知の宇宙人に。一見かみ合わないと思われるホラー手法をSFに組み合わせるという荒業をやってのけたのです。
 広い宇宙空間を活かすもよし。異なる惑星を使うもよし。密室たる宇宙船を扱うもよし。宇宙はやはり広い。だから宇宙SFもまた、さまざまな可能性が秘められているのです。
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※以上、かわい洋ヘイさんからの寄稿を一部修正して掲載させていただきました。ご協力ありがとうございました!
    スペースオペラ

スペースオペラ (Space opera)
 ひとことで言い表すなら――いわゆる冒険活劇です。宇宙船で銀河を駆け巡り、ヒーローが光線中でマッドサイエンティストや悪い宇宙人を倒していく――これ以上にない勧善懲悪の娯楽ストーリーが主な基盤になっています。
 SFのジャンルに分類されていますが、ハードSFのような綿密な科学設定はほぼ皆無で、どちらかというと空想的解釈をくわえた科学設定が多く、いわば『面白さ』を重視したスタイルになっています。
 相対性理論を無視して光の壁を突き破ったり、太陽系ひとつを丸ごと吹き飛ばす爆弾を登場させたり、戦艦で衛星をビリヤードのように突くなど、荒唐無稽な設定が多いあまりハードSFファンからの反感を勝った反面、娯楽大作としての色が強く、SFファン以外の人々に受け入れられ、それがSFファンの層を広げるという皮肉につながりました。アメリカの映画で有名なのは、ジョージ・ルーカス監督のスターウォーズや、リュック・ベッソン監督のフィフス・エレメント。日本の代表作としては、宇宙戦艦ヤマトなどが上げられます。
 また、現在ではスペースオペラの概念も多様化しており、『宇宙版西部劇』としての性格は薄くなり、SF的舞台設定に政治や戦略を中心としたSF史劇的作品がスペースオペラと分類される傾向も多いようです。
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※以上、かわい洋ヘイさんから寄稿いただきました。ご協力ありがとうございました!
    破滅系SF

 破滅系、あるいは終末ものと呼ばれるこのジャンルは、さらに二つの種類に分類されます。

1)大きな戦争や疫病、あるいは避けようのない自然災害によって人類が滅んでいくさまを現在進行形で描く。

2)上記の現象によって文明が滅んだあとに再建された世界。

 つまり、【滅んでいく世界】か、【滅んでしまった世界】です。 破滅系の作品は、災害や戦争で都市や社会が破壊される様子を描き、生存者の苦闘や心理に焦点をあてます。  舞台――すなわち崩壊の原因は、現在無数に存在します。世界大戦、バイオハザード、ロボットによる革命、宇宙人の侵略、未知の疫病、大地震や氷河期による自然災害、隕石の飛来――
 数え上げればきりがありませんが、未知の存在による圧倒的破壊、というのが共通点のようです。敵は子供向けに出てくるような悪の結社ではなく【現象】であり、立ち向かうのは非常に困難です。そこで立ち回る人々のドラマもまた、このジャンルの魅力のひとつです。恐怖に駆られて自分だけ生き残ろうという浅ましさ。逆に家族のために意地でも打ち勝とうと戦うもの。破滅に落ちていく世界をゆっくりと眺める傍観主義者……。危機的状況の中で思わぬ本性が垣間見え、人間という存在を改めて認識させられます。
 また、世界を滅ぼすか救うか、どのような過程を描くかで、作者の人となりも分かってきます。作品を好きになったなら、もしかしたらその作者さんとも話が合うかもしれません。
 
 題材の中には聖書の一部を使ったものがよく見られます。世界各地の神話や宗教には世界の終わりを描写したものが多く、題材に使いやすいからでしょう。キリスト教のハルマゲドンや、北欧神話のラグナロク、また旧約聖書のノアの箱舟は腐敗した文明が大洪水で破滅する様子や、新しい文明が破滅後に再建されるという希望を描いていて、映画や小説にもよく用いられています。
 作品のテーマは、【生存への苦闘】が主ですが、ときには【人類への警鐘】であることもあります。お手伝いや、労働用に作ったロボットが反逆を引き起こす。他国への攻撃用に作っていたウイルスが漏れだしてしまう。森林を伐採しすぎたために環境が激変してしまう。人類の好き勝手な振る舞いは、思わぬしっぺ返しを受けることになる。そういう過ちを現実にしないために物語に書きおこしている、といえるのかもしれません。
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※以上、かわい洋ヘイさんから寄稿いただきました。ご協力ありがとうございました!
    ミュータント

ミュータント (Mutant)  
 ミュータント、とは突然変異によって生じた超人類のことをさします。突然変異は生物学の用語で、発ガンや機能不全などの原因となり、進化の原動力ともなっている現象ですが――SFの世界では空想的解釈によって、【細胞の変異によってスーパーパワーを手に入れる過程】となります。
 ミュータントはアメリカンコミックの世界で多くもちいられており、たくさんのヒーローが悪と戦っています。 スパイダーマンのような跳躍力。スーパーマンのような弾丸をはじくボディ。ハルクのようなたくましいパワーなど、数え上げればきりがありません。ミュータントで描かれるのは、超人的能力だけではありません。その能力による差別問題も描かれているのです。
 物質を触れずに動かすサイコキネシスは人々を恐れさせ、人の心をのぞいてしまうテレパシーは人に忌み嫌われ、未来を知ってしまう予知能力は人だけ出なく自分すら不安にさせてしまう……。どうして自分はこんな風になってしまったんだろう。どうしてこんなに嫌われてしまうのだろう。何をしてもダメなのだろうか。それはミュータントでなくても、どんな人でも抱いている劣等感ではないでしょうか? そういうところに共感して、ミュータントに惹かれる人々がいるのかもしれません。
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※以上、かわい洋ヘイさんから寄稿いただきました。ご協力ありがとうございました!
    方程式もの

 方程式もの(ほうていしきもの)とは、トム・ゴドウィンのSF短編『冷たい方程式』に代表される一連のSF作品群をさします。
「燃料や食料、酸素に余裕のない航行中の宇宙船に密航者が紛れ込んでいた。密航者のために人員超過となり宇宙船は目的地へ行けなくなる。どうするか?」という設定のもと、密航者の処遇を中心にストーリーが展開されます。
 ゴドウィンの『冷たい方程式』では、主人公が操縦する宇宙船に一人の少女が密航したために、宇宙船の燃料が足りなくなり、目的地に到着できないという状況に追い込まれます。そして主人公は悲しみつつも非情にエアロックの外へと少女を放り出してしまう――いわば宇宙版カルネアデスの板。全員の生存のためにひとりを見捨てるという残酷な手段なのです。
 宇宙船の速度、燃料、所要時間、重量などの要素を放り込んだ方程式の解として「密航者は排除すべし」の解が導かれたわけですが、この結末を読んで納得しきれなかった読者は多く、「少女を救う別の方法だってあったはずだ」とばかりに、条件や設定を変えた様々な変種が発表されました。この一連の作品群を総称して「方程式もの」と呼ばれるようになったのです。
 方程式ものにおける基本的な舞台設定は、以下のようなものが挙げられます。
 1)主人公は、一人ないしは少数の宇宙船クルーである。
 2)宇宙船は、必ずある目的をもって目的地へ到着しなければならない、という使命を持っている。
 3)宇宙船は、燃料や酸素や食料など必須とする物資が必要最小限ギリギリまで切り詰められて航行している。
 4)そこに密航者(想定外のイレギュラー)が現れ、計算上目的地までは航行できなくなる(燃料が足りなくなる、酸素が尽きるなど)。
 5)主人公たちは「密航者は排除すべし」の鉄則から、人道的な苦悩に直面する。
 6)試行錯誤のすえ、解法が示される。
 舞台は必ずしも宇宙船というわけではありません。状況が良く似た閉鎖的環境で展開されることもあります。また、密航者ではなく酸素漏れ等の要因によって生存可能な定員が減るという状況の作品もあります。これらの作品群は、大元の『冷たい方程式』が悲劇的結末であり、それをどうにか変えたいという思いから主人公も密航者も助かる結末が用意されていますが、さらなるどんでん返し――裏をかいてより悲惨な結末を用意している場合もあります。
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※以上、かわい洋ヘイさんから寄稿いただきました。ご協力ありがとうございました!
    ハードSF

 SFとはサイエンス・フィクション=\―いわゆる空想科学を意味します。
 ハードSFは、その空想科学の科学面をより深く突きつめたジャンルになります。
 たとえば、SFホラー作品である【パラサイトイヴ】は、人間の細胞内に存在するミトコンドリアが、人類に反逆をひるがえすというストーリーですが、ミトコンドリアの構造や特徴を徹底的に調べ上げており、さも本当に起こりうる現象のように思ってしまいます。作者が現役の研究生だったこともあり、その緻密な科学設定は舌を巻くものがありました。
 他には、最近映画化もされた【日本沈没】では、フォッサマグナや地殻変動など、火山大国である日本の地質学を綿密に調べ上げています。
 念密な調査や資料集め。専門家の特化した知識。
 一般知識とは離れた特殊な知識をベースにして作られていることが多いので、読者には『難しい』と一蹴されることも少なくありません。
 科学設定が書き込まれているため、ときにはストーリーよりも説明文や背景描写のほうが多い場合があって、物語の進行を見たい読者にとっては専門知識の解説部分は読み飛ばしたいと考えてしまう場合も多く、だけどそうするとストーリーの展開がわからなくなるという矛盾が生じて、結局読まれなくなってしまうことがあるのです。  前期のスペースオペラは大衆娯楽ですが、ハードSFは上級者むけの作品といえるでしょう。
 
 このジャンルを読めるようになった人、あるいは書ききれる技術を手に入れれば、本当のSF好きになった証です。
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※以上、かわい洋ヘイさんから寄稿いただきました。ご協力ありがとうございました!
    侵略系SF

 地球が、外部からの何かに奪われていく。――侵略系SFとはそれを描いたジャンルです。

 宇宙からやってきたUFOによって、街を完膚なきまでに破壊されていったり、
 宇宙からやってきた生物によって、人々が寄生されてすげかえられていったり、
 宇宙からやってきた何か≠ノよって、人々の生活が丸ごと変わっていったり、

 一気に壊されたり、少しずつ手が足元に伸びてくる恐怖を味わったり――いろんな形で侵略されていきます。
 映画では、【宇宙戦争】や【トランスフォーム】や【インデペンデンスデイ】など、宇宙からやってきた存在によって地球を破壊されていくストーリーが展開していきます。
 このジャンルの魅力は、侵略者の圧倒的戦力≠烽りますが、もうひとつに人々の協力≠ニいうものもあったりします。内戦のやまぬ国や独善的な大国など、地球はいまだにひとつになれません。しかし、共通の敵によって手を取り合い、一丸となって侵略者を撃退していくのです。
 人々は、危機的状況になると普段隠れている本性が浮き出てくると言われています。もしかしたら、人々はひとつになれるという可能性と希望を描いているのかもしれません。
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※以上、かわい洋ヘイさんから寄稿いただきました。ご協力ありがとうございました!
    超能力

 サイ現象、という概念があります。サイ- (psy-) とは、ギリシャ語で心・魂を意味するプシュケー (psyche) から。

 物理的サイ現象は、幽霊やポルターガイスト。
 生物的サイ現象は、憑依や転生、幽体離脱。
 心理的サイ現象が――超能力。

 超能力は、テレパシー・透視・予知・念力などといった、超自然的な能力をさします。
 超能力という概念は、超常現象――とりわけ心霊現象に科学的な説明を与えようとして考え出されたものであり、いわば空想解釈をくわえた霊能力といえるかもしれません。
 その反面、超能力はSFにおいては人気の高い題材であり、アメリカのドラマでは【4400】や【HEROES】などでも、さまざまな超能力者が出現します。
 超能力は、ESP(エスパー)と呼ばれています。 Extra Sensory Perception(超感覚的知覚)を省略したESPに接尾語"-er"をつけたESPer(エスパー)という呼び方です。
 本来は厳密な部類分けがされているのですが、ここではテレポーテーションやサイコキネシスも全て総称して超能力とします。

 作品上における超能力の発現パターンは、いくつかあります。
 一部の選ばれた人間のみ/眠っていた素質が開花する/不意の事故で突然能力が芽生える/薬物投与によって人工的に/訓練で強化できる――などなど。
 少年・青年期に能力を発揮するというタイプが多く、本来力を持たない一般キャラが突然破壊の力を手に入れるという展開に使われたりもします。

 物質を操るテレキネシス。 
 人の心を読み取るエスパー。
 世界全土を飛び回れるテレポーテーション。
 万物を焼き尽くすパイロキネシス。
 未来を読みとる予知能力者。

 SFでは、サイボーグ技術やハイテク兵器という外部≠フ力を借りて、人間にやれないことを成していくことが多いですが、超能力は内部≠ナ眠る己の力を引き出す要素が強いです。
 サイは、心を意味する言葉。
 超能力とは、より強くありたいと願う、人間心理に内在する力と言えるかもしれません。
   ◇◇◇
※以上、かわい洋ヘイさんから寄稿いただきました。ご協力ありがとうございました!
    スチームパンク

 スチームパンク(Steampunk)と呼ばれるものには大別して二種類あります。
 一つは、十九世紀の産業革命期に主流であった蒸気機関が異常発展した事による社会の変貌を描いたもので、このジャンルの代表作としばしば言われる、ウィリアム・ギブスンとブルース・スターリングの共著『ディファレンス・エンジン』は、正にそのものでしょう。そしてもう一つは、この社会という視点から離れ、蒸気機関を始めとする産業革命期に置いてあった様な要素、ガジェットを盛り込んだ作品。謂わば前者が狭義で、後者が広義のスチームパンクと言えますが、現在では広義のものの方が散見しています。映画で言えば『ワイルド・ワイルド・ウェスト』『リーグ・オブ・レジェンド』、アニメ・漫画では『スチームボーイ』『鋼の錬金術師』、ゲームでは『サクラ大戦』辺りが、ビジュアル的にその内実を想像し易いのでは無いかと思います。
 また、それとは別に、同時代に書かれたSF小説、ジュール・ヴェルヌや、H・G・ウェルズの作品も、スチームパンクの中に入れられる事があります。
 さて、上の様に、現状広義のもの方が主流となっている訳でありますが、個人的にはそれも当然で、そちらの方がよりスチームパンク的なものを出していると考えております。
 無数の歯車を噛み合わせ、猛然と蒸気を噴出させながらに稼動する、無骨で荒唐無稽なデザインの機械達。エーテル、自動人形などといった、実際には存在すらしていない似非めいたものが平然と語られ、行使される科学技術。さも当然の様に現れ、活躍して行く実在の(この言葉の中には文学的に実在した、即ちあの世界最高の詰問探偵やそのライバル、犯罪界のナポレオン等が含まれております、明白にっ)登場人物達――
 元々そこから派生したと言われるサイバーパンクが未来への展望、ひいては肉体からの逸脱、人間性の超越を根底としているならば、スチームパンクは全くの逆でしょう。そこにあるのは、過去への懐古であり哀愁であり、そして同時に、人間性の肯定です。
 それはまた、産業革命が起こった十九世紀に対するものでもあります。いまだ世界は謎と驚きに満ち溢れ、前人未到の地がそこかしこに存在した。だからこそ、個人の力が強かったのですし、そして、未来も明るかった。怪しげな実験室より産まれた無数の科学は輝かしい明日を予想され、良くも悪くも人々は前だけを見ていた、見る事が出来た。
 その在りし日の個人が個人であった世界、そこから見る事が出来た眩いまでの未来に、空想の翼を広げて想いを馳せる。それこそがレトロフューチャーの一分野ともされるスチームパンクの精神であり、魅力であり、意義では無いか、とそう自分は考えております。
 ただ、まぁ、読むにしろ書くにしろ、そう難しくなる事も無いでしょう。スチームパンク的なものを持った紳士、淑女の方々ならば、ここまでの薀蓄、解説という名の一人語りによって、漠然とながら解って頂けたと思います。その霧と蒸気の様に曖昧模糊としたものを抱えながら、珈琲なり紅茶なり啜りつつ、優雅に瀟洒にスチームパンクなるものに接すれば、大変宜しいのではないでしょうか。
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※以上、木野目理兵衛さんから寄稿いただきました。ご協力ありがとうございました!
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