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SF薀蓄館

ディストピア/アンチ・ユートピア

ユートピア(utopia)
 理想郷。ラテン語で【どこにもない国】。あるいは【時間のない国】。
 イギリスの思想家トマス・モアが1516年にラテン語で出版した著作、また同書に出てくる国家の名前。「無可有郷」とも。

 疫病。感染。侵食。飢餓。襲撃。差別。犯罪。事故。災害etc.
 行きつく先はどれも同じ――死。
 恐怖を回避したいという人々の願いが具現化した存在が【ユートピア】。ありとあらゆる負の出来事を追い払うために生まれた考えです。
 
 ユートピア作品は主に初期のSF作品で描かれており、下記の事項がほぼ共通しています。 
 
※第三者による徹底管理によって、犯罪の発生を防いでいる。
※世界から離れた、安全な地。
※自然と融合した、発達した科学によって建設された城塞都市。津波も台風もないし、自殺する苦しみも、人を殺すような飢えもない。
※ふしだらでむやみに派手な要素は徹底的に排他され、住民のスケジュールはものを食べる時間と働く時間と眠る時間がきっちりきめられている。
※人々は技能で分類されていて、立場は平等だけど個性はない。
※物理的にも社会的にも衛生的な場所。つまり病気にならないし、いじめも差別もない。
 
 まさに理想の新世界。勝ち残ったものだけが裕福になれるという資本主義に反した、財産の一切を平等に分け与えるという共産主義にも似た考えでした。
 ところがその反面、一切の感情が許されず、自由を束縛された収容所のような世界でもあります。現在から見れば、理想郷からかけ離れたこの考えかたを【アンチ・ユートピア】あるいは【ディストピア】といいます。
 
 なぜ、感情の自由を許さないのか? 個人的感情による行動はイレギュラーを引き起こしかねないからです。
 たとえば、人物Aが人物Bにある言葉を言いました。それは、人物Aにとっては些細な言葉でしたが、人物Bにとってはひどく傷つく言葉でした。どっちが悪いわけではありません。単純に、性格の違いです。しかし、それが原因になってけんかが起こります。最悪の場合、衝動的な殺人になるかもしれません。
 それが何万人にもなれば、どれだけのイレギュラーが発生するでしょう。計算はほぼ不可能です。
 そこで個人的感情のいっさいを排することで、争いをなくすわけです。これで不幸はおきません。――たとえ、幸福を感じられなくなったとしても……。
 
 初期のユートピア作品には、のちのちによく読んでみると実はとんでもないアンチ・ユートピア作品であることが発覚する作品が多くあります。
 また、20世紀以降には社会主義思想の理想と現実のギャップに打ちのめされた人々がアンチ・ユートピア作品を描いています。
 
 たとえば、トマス・モアの【ユートピア】では、人々はみな白くて清潔な衣服に身をまとい、私有財産を持たず、農業の片手間に芸術矢研究をいそしむという理想社会が描かれています。
 しかし、実際には生活の時間割が細かく決められていて自由がなく、市民どうしで監視しあう――いわば連帯責任のシステムになっていて、社会になじめないとわかれば上に報告されて、はぐれ者として奴隷にされてしまうなど、まるで江戸時代の五人組のような制度があったりするのです。
 あるいは、H・G・ウェルズの作品こと【タイムマシン】では、未来社会にてイーロイとモーロックという、ふたつの人種に分かれて争いが起こされていました。戦争というものとは程遠い、一方的な暴力で。高度発達した科学によって、自分の目標を失って生きる希望を見失ったイーロイと、労働者という下級階層にいるモーロックは食糧として捕らえやすいイーロイを捕食しているという、恐ろしいブラックユーモアが潜んでいたのです。
 また、劇団四季のお芝居である【エルリック=コスモスの239時間】では、徹底管理されてしまったことで感情を失った子供たちと、それを癒すために派遣された教師ロボットとの心の交流が描かれています。心温まる物語であると同時に、【心を失った人間】と【心豊かなロボット】という痛烈な皮肉が語られています。
 
 アンチ・ユートピアとは、発達しすぎた科学が引き起こすかもしれない悲劇への警告なのです。
 ――科学が、必ずしも人を幸せにするとは限らない。
 事実、携帯電話や電気自動車のような、昔からSF作品に出てきた小道具や乗り物が現実のものとなっていますが、今の世界がユートピアと言えるでしょうか? 世界を支配しているのは、平等をうたった共産主義ではなく、弱肉強食の資本主義。昔と変わらぬ現実が――そこにあるだけです。
 
 
 余談ですが、ビートルズのジョン=レノンは【ヌートピア】という概念を提唱しています。
 
 土地もない。国境もない。パスポートもない。法律もない。
 国というものすらない。
 存在するのは人間だけ。
 人間と人間のつながりだけ。
 
 人間全てが国民であり市民であり大使である。
 
 あなたはこれをどう思うでしょうか?
 発達した科学があるわけでもない。するべきことを教えてくれる管理者がいるわけでもない。病気や災害から守ってくれるものもない。
 だけどそこには幸せがある。愛したい人も、愛してくれる人もいる。愛を歌い、宗教にも精通していたジョン=レノンらしい概念ではないでしょうか。
 ある意味、もっとも理想的なユートピアの考え方であるといえるかもしれません。
   ◇◇◇
※以上、かわい洋ヘイさんからの寄稿を一部修正して掲載させていただきました。ご協力ありがとうございました!

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